意味不明瞭。

「ゴールデンウィーク中に京北走ってたらな、滅茶苦茶格好いいサイクリスト見かけたんや」

と語るワタクシに冷たい意見が浴びせられます。

「どうせ意味不明なヤツやろ?そやろ?」と。


失敬な!と言いたいけれど・・・解説は要るヤツやな、ウン。

京北の田んぼ沿いの真っ直ぐな道をですね、自転車に乗ったお爺さんが走ってたんですよ。

生成りのシャツ、生成りのスラックス、生成りのシャッポ、いや一瞬だったから覚えていないけれどイメージの中ではそんな。

跨るは往年の紳士車。実用車とママチャリの間の子みたいなアレ。

サドルとかベタ下げで決して漕ぎ易いポジションではないはず。


でもそのお爺さんを見た瞬間ズッキューン!とハートが撃ち抜かれたのです。

渋いとかビンテージとかそういうのじゃなくて、なんつーか・・・ん〜・・・。

現代の自転車はとても高性能です。

移動能力を人力の数倍数十倍に拡張してくれます。

ただ最新モデルの「旧型は15倍だったのに対し新型は15.2倍!」みたいな数字のゲームってのはどうも好感持てません。

だって15倍でも15.2倍でも俺には違いが分かんねぇし、その違いも別に有り難くねぇしで。


それに対して今回見たお爺さんの自転車は「移動能力を人力比2倍に」とかその程度だとしても、

歩くよりかは確実に楽であり「自転車があって本当に良かった」と思える存在である様に見受けられたのです。

この自転車の尊さ加減に・・・ハート撃ち抜かれる訳だ。

今回のお爺さんに憧れ、彼のようになりたい!と思うのであれば紳士車に乗れば良いだけです。

しかし現実問題「より良い自転車がある事」を知り「物欲もある」中でそこまで捨て切れるかってーと・・・難しい。


30年前40年前に買った今から見ると低性能な自転車に「便利便利」と満足し、歩きでは行く気にならない何処かへユルユル漕ぎ行く。

そんな今の自分では叶え得ないスタイルだからこそ、憧れを抱いてしまうのですよ。


いや、20年後とかなら「うわ、あのオッサンの自転車ヤバいくらいショッパイな」と言ってもらえるのかもしれませんが、

何処まで行ってもあのお爺さんには追い付けないのです。

空井戸サイクル

「自転車に恋をして」 日々横を通り過ぎるママチャリでなく、恐る恐る触れる超高級車でもなく、跨り漕ぐ度にときめく自分の愛車。それを見つける旅の水先案内人が自転車屋です。そしてその恋がズッと続くお手伝いを今日も明日も明後日もしていたかったのですが令和二年をもって廃業し現在地下潜伏中。