信仰侵攻神功。
ボチボチと山も色付き始めましたので昨日は近くの山に散歩に。
登山とかハイキングといったシャレオツなモノではなく、ただとぼとぼと歩き登るだけですが、
ルートは登山道でも無ければ廃道でもなく廃鋼索鉄道線路跡で御座います。
京都市内では最大級にして最古級の廃墟と言える愛宕鋼索鉄道跡線路。
開業が昭和4年(1929年)と旧いのは勿論、戦中の昭和19年(1944年)に軍事物資としてレールを引剥されてからズッと廃墟。
建造物としての旧さはあの軍艦島住宅群とそう変わらんレベルですが、そう言われても俄に信じ難い程に良好な状態。
流石に崩落している箇所などもありますが、元々一筆書きだっただけあり比較的歩き易く、
表参道を通らず此方の廃線跡を通る愛好家も一定数いるそうで、路傍には戦後文化もちらほら積み重なっております。
山あるあるの代表格である朽ちたプルタブ缶も。
この外したタブを刃物に釣った小魚を解体して餌にして更なる大魚を狙う、みたいな事をしていた小学生の頃が懐かしい。
まぁそんな訳で実際に営業していた期間よりも、廃線となってからの方がズッと長く愛されて来ているという愛宕鋼索鉄道。
言わばケーブルカー界のバディ・ホリー。(バディ・ホリーって、たった22歳で亡くなってんですよね)
その歴史の長さを・・・長さを・・・というよりも山のデカさを全身で受け止め切れずに疲弊し喘ぐ。
ズバリしんどい。
「うん、よく歩いたから今日はもう帰ろう」となりそうな所、グッと踏み止まり次の一歩が踏み出せるのは、
大いなる磁力を発するゴールがある事を知っているから。
お疲れ様でした、此方が愛宕駅舎跡です。
知らない山をMTBで走ってて、いきなり目の前にコレ出て来たらひっくり返るでしょうね。場所的に有り得ないですけど。
サイズ的には非常にこじんまりした建物ですが、当時はレストランとしても営業していたそうな。
当時人々がハイカラな食事を摂りながら過ごしたであろう場所に座って汗を拭き拭き大休止。
100年近い時を経た建物と秋の光、素晴らしい。
この手の廃墟の定番である無闇な破壊や下衆な落書きが殆ど見られないのは、
徒歩でないと辿り着けないという立地の為か、それとも愛宕神社総本社の神通力のなせる業か。
本当の所はよう分かりませんが、こういう場所が残っている事はただただ有難く目出度く素晴らしいと思うのです。
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