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「祈る」

「祈る」ってあるじゃないですか?お地蔵さんに祈るとか故人に祈るとか。

その意味って分かりますか?もしくは如何定義しておられます?

パッと気軽に答えると「お願い事をする」とか「信心を表明する」みたいな話になると思うのですが、

それって何か変だよね、と違和感を覚ずには居れなかったワタクシ、協調性が無いと小学校二年生で通信簿に書かれています。


で違和感のままにズーッと考え続けた結果、「コレかな?」と思い至ったのは、

「祈る=己の時間を割く」という定義付けでありまして、

例えば故人に祈るのは日常諸事忙しくする中にあって「故人の事だけを考える時間」であり、

お地蔵さんに祈るのも神仏諸々に祈るのも同じく「己の時間の一部のその事に捧げる事」と定義したらストンとフに落ちました。


一人乗りである自転車を漕いでいる間は脳が休憩中なので、こういった意味不明な事をずーっと考える訳ですが、

子供が生まれて来てくれてからは暇つぶしシンキングタイムもすっかり減ってしまいました。



「格好をつける」

「格好をつける」というのは普通否定的なニュアンスを含んだ表現かと思います。

しかし格好をつけるには絶対に無くてはならないモノがありまして、それは「何をもって格好いいとするかの基準」。

つまり「ワタシはコレが格好いいと思う=そうなりたい」という判断があってはじめて格好をつけられるのです。


こうなりたい、こうあるべきだ、そんな基準を明確に持ちその方向に進む事はとても良い事だと思いますので、

格好をつけるのは実はとてもとても良い事なのではないかと思ったりします。

なので否定されるべきは「格好良さの基準を持たないのにそれらしいフリをして誤魔化す場合」であり、

「格好つける」という言葉はそのとばっちりを喰ってる感じで少々不憫な気も。


どうでも良いですけど「誤魔化す」って漢字で書くと味わい深いですよね。



「上下」

貧乏人のお客さんなど願い下げです。コレは本当に心の底からそう思っています。

しかしそれなら「貧乏人は自転車に乗るな」とか「ボロ乗っとけ」と言えるか?思えるか?というと話は別。

金持ちだけが自転車を楽しむ世界になれば良いなって思うか?思うわけ無いし思い込む事も無理。


余裕のある人はエアコンの効いた清潔で広い店内、フルサービスやライドサービスも受けれるショップが手招きしてくれますが、

懐に余裕の無い人は・・・まぁ世の自転車屋のほとんどが「願い下げ」でしょう。

じゃぁ貧乏人はどうすれば良いのでしょう?本音で言えば自分で全てケアすれば良いと思うのですが、

貧乏人が自転車を趣味とする事はそんなにハードル高くて良いのかと考えると・・・ん〜・・・違う。

だって、たかが自転車ですよ?


最小限の金があれば何処までも行けるからこそ自転車は美しく尊い訳で、

自転車に貴賤はなく乗り手にもまた貴賤はない、そんな世界であって欲しいと勝手に思います。

その理想に1mmでも近付く為には「金持ちなおもてハッピーを遂く、いわんや貧乏人をや」じゃありませんけど、

金がないから自転車を趣味に出来ないという状況があるとすれば一つ一つ消して行かねばなりません。

そう!貧乏サイクリストこそ救われるべきなのです!

って誰が救うの?政府?神?アサヒ?イオンバイク? ワタクシは無理です、お金欲しいですモン。


繰り返しますけどお客さんから貧乏な相談受ける瞬間は本当に嫌なんです。

でも頭の中でもう一人のワタクシが囁くんですよ。「今自分がやらんとどうなる?」と。

そうして自己存在確認モードに入ると気分はパタンと切り替わって俄然面白くなってしまう、と。


「誰も行かない所は誰かが行かなきゃならない」

カメラマンの長井さんの言葉だったと思いますが、参っちゃいますよね、格好いい言葉じゃないですか。



「表裏と裏表」

ワタクシ自身、全く生活に困っていませんが懐に余裕があるなんて事は一切無く、

自転車屋なので自転車だけは比較的好きな様に出来るも、最大の趣味であるモーターサイクルに関しては完全に貧乏人側。

で、貧乏人目線からすれば「店はこうあって欲しい」という具体像がありますけどそんな店は殆ど無いです。

なので30年近くズッと独りでゴソゴソしながらバイクを趣味として来ました。


此方、ひょんな事から自転車屋稼業となり店を自分の好きな様に出来る立場となった訳ですが、

自転車屋として何がしたいのか?どうしたいのか?を自分で決めねばなりません、当然。

となれば答は「自分があって欲しいと思う店」を描き形にするしかない。ない事もないけどまぁない。


しかし宙に咲く花が存在しないのと同じく、普通にないモノを顕現させようというのは歪な行為であり、

更にそれを経済活動として安定させようなど不遜にも程がある、という事に気がつくまで10年以上要しました。


人様がどう評価するかは別として、少なくとも自分にとっては望外に面白い店をやれたと思います。

またワタクシは独り自転車屋となってから一度として「仕事に行きたくない」と思った事はありません。

これって普通に働いている人間の中ではモノ凄っごく幸せな事じゃないですか?


それも全ては製品制作関係諸者は勿論、言うまでもなく御贔屓にして頂けた御客様あっての事です。

本来はお一人お一人御挨拶に伺うべきですがコロナ渦中にありそうも参りませんで、勝手ながら此方に代えさせて頂きます。

本当に本当に本当に有難う御座いました!




「「」つけて」

最後に、好感をもって弊店ブログを御覧頂けているにもかかわらず一切お仕事くれた事の無い皆様へ。

皆様が仕事くれないから店潰れちゃいました。恨みます。許しません。


もし許して欲しいと請い願うならば「明日から格好をつけて下さい」

皆様にとっての「あって欲しい」「あるべき」そんな像をなるべく明確に描き、なるべくで良いから実践して下さい。

他人から「そうじゃない」「変だ」と否定されても理路整然と論破出来る所まで考えを練って練って、

将来振り返った時に後悔をしない姿勢を探し当てたら、それっぽい感じで格好つけて。


それしてくれたらチャラ。

ワタクシは背伸びして格好つけた時間が長過ぎた様で、少し疲れましたから格好つけるのチョッと休憩します。

また何処かで何かの形で御縁あればまた。それではさようなら。

空井戸サイクル

「自転車に恋をして」 日々横を通り過ぎるママチャリでなく、恐る恐る触れる超高級車でもなく、跨り漕ぐ度にときめく自分の愛車。それを見つける旅の水先案内人が自転車屋です。そしてその恋がズッと続くお手伝いを今日も明日も明後日もしていたかったのですが令和二年をもって廃業し現在地下潜伏中。