禁句。
永く使い続けているモノって何かありますか?
ワタクシが一番永く使い続けているモノは恐らく此方のフリースシャツ。
いつから着ているのかもはやハッキリ思い出せませんが、少なくとも20年以上は着続けています。
色はパッとせんし格好良いと思った事も無いのですが、それでも捨てずに着続けているってのは・・・なんでだろか?
永く持ち続けるモノは案外こういった「どうでも良いモノ」だったりするのが不思議ですね。
さて、この四半世紀近く来ているボロいシャツとワタクシの関係をして、
「好き」という言葉で結ぶのは適切でしょうか?適切ではないでしょうか?
ザックリ仕分けようとするなら「好きだから選ぶ」という形になるのは当然といえど、
自分自身、この一着が好きかと聞かれたら・・・「別に」としか言いようない感じ。
でも嫌いな訳じゃない、そもそも嫌いなら二十数年の間の何処かで捨ててますし。
この好きと嫌いの間には小数点以下無限大の機微があり人様に伝える事は勿論、己でさえもよう分からんかったりしますが、
それを連々と人様に伝える事は無意味な上にお互い邪魔臭いだけですから、いっそ「好き」で結んだ方が手っ取り早いでしょう。
しかしボロいシャツの話であればそれで良いとしても、こと自転車についてとなるとそうは参りません。
自転車が好きっつっても「ママチャリでウロウロ走るのが好き」なのも、「ハイスペックバイクで激走するのが好き」なのも、
「人力による移動能力を最大限効率化するその存在自体が好き」というのも、皆々同じ「好き」ですが、
そんな3者を集めて鼎談でも如何?と言っても・・・話が一切噛み合わん可能性は十分以上にありましょう。
話が噛み合わんだけならまだしも、同じ対象に好意を抱く人間同士に限って摩擦係数がデカいというか、
感情移入の強さから生まれる同族嫌悪的な諍いが起きがちだったりというのが世の恐ろしい所で御座います。
(こういった感情と認識の縺れについては此方の例にもよく現れております)
自転車屋という仕事上、御客様が其々の温度や嗜好をもって自転車を好まれている事は日々実感しており、
「自転車が好きだ」という言葉を聞くのは勿論、当然、とてもとても嬉しく有り難い事です。
しかしそこでワタクシが「自転車が好き」と軽々しく言い放つとどんな意味が生まれるでしょう?
多分「Me too」になるんじゃないかと思いますが・・・それって絶対に嘘になるんですよ。
前述した通り、好きの万華鏡は一つとして同じ柄が存在せんわけですから。
自転車屋は様々な御客様からの依頼に可能な限り応えて行く上で中立性が求められると思うがゆえに、
ワタクシは自転車屋になって以降、「自転車が好き」という言葉を吐いた事がありません。
「自転車屋なんだから自転車が好きなのは当たり前」とパッケージングするのは簡単ですし共感も得易いですが、
そこに嘘が混じっていると知りながら吐き続けるのは、自分も他人も同時に欺く行為に近いのでパス。
自転車屋が自転車に対して抱く感情は「好き」の一言なんかで表せるはずも無いのですが、
その仕事の内容を通して透ける可能性はありますので、引き続き御客様に怒られない仕事をして行きたいと思う所存であります。
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