ハーミット。
「変態」という言葉があまり好きではありません、というと誰でもそうだよと返されそうですが、
「俺って変態」とか「オマエ変態だね」みたいな軽い表現として「変態」を使う事に何とも言えない抵抗があります。
変態ってのは「自分でもおかしいと、変だと、間違っていると分かっているけれど、執着を捨てられない」みたいな、
悲しさと魔力の煮凝りみたいなモノを指すのではないか、と自分の中で定義しておりまして、
具体例を挙げればロリコンなどが正にそれ、批判されて当然と知りつつも何故か好きで仕方ない、みたいな。
つまり本当の変態とはとても他人に漏らせるような話ではなく、自分の中で抑え込みながら必死で折り合いをつけて行くモノであり、
きっと誰しも心の底に大なり小なりの変態を仕舞い込んでいるのではないかなぁ、と思ったりするんですよね。
「本当の自分をさらけ出して、そのままのキミで良いんだよ」みたいな事もよく耳にしますが馬鹿仰い。
自分の思うままさらけ出したら大変な事になっからこちとら歯を食いしばってんだよ、という変態からすれば悪い冗談です。
先日京都の山でMTBの死亡事故がおきた、というニュースを見ました。
世間様からは「MTBみたいな危ないモノは山から排除だ排除!」という意見も当然出ましょうし、
MTB愛好家の中にあっても「クローズドコースを走るべきだ!」という人と「自然の中を走るからMTBなんだろう」という、
意見を異にする人同士の言い合いが発生する火種にもなりましょうが、議論して論破する事に意義があるとは思えません。
正しかろうが正しくなかろうが、山の中を自転車で走る事が好きという事実があるならば。
理詰めで諭されて嫌いになれるならそれ程いい事は無いです、なれるなら。
それが出来ないのなら世間様から距離を置いて向こうへ向こうへ向かうしか無いんじゃないかなぁ、と。
MTBなんてのは誕生した瞬間から変態なんだと思います。多分。よく知らんけど。
公衆の面前でチンチン振り回さないのと同じく、嫌だという人が居る所にMTBで乗り込むべきでは無いでしょう。
人の目を惹かない様に、コソッと隠れて、独りで楽しむ。
ならば一人乗りである自転車は実に好都合ですし道なき道を行けるMTBもまた。
MTBが変態的趣味ではなく一定の権利を有する日が来れば多くの人が幸せになるのでしょう。
しかしそうなった時こそ、ワタクシがMTBを好きで無くなる時なのかもしれません。
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